▼世界線? アセンション? - 宗教的価値観の変革の時

『8月15日 午後2時47分』問題

すでに13分が経過しましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?
何度目だろうと思うのですが、またもやYouTubeでヒットしてきますね。
しかも、正憲の予想通り、「日本人の意識が変わり、目覚める人が現れる」という抽象的かつ検証不可な内容。
「私は変わった!」という人が出始めたら、世も末だと思います。

さて、欧米ではどうかというと、具体的な日時よりも内容の偏りが目立ちます。
まぁ一般的な?ものは「3次元から5次元に意識がアセンションする」というもの。
選ばれた人たちが次々と意識変容して、高みに登っていくらしいのです。
キリスト教の影響を受けまくった内容ですね。

Q)アセンションとは?
A)アセンションという言葉は近年スピ界隈で広く使われるようになり、一般の人々たちの関心も集めています。人間の意識や存在レベルがより高次元へと移行という意味だったり、自己の意識や理解が深まってより高い精神状態に到達することなどだったりします。要するに、一皮剥けた高みの新人類になるということです。

こういった「世界線が変わる」や「人類がアセンションする」という内容については、正憲的には起きないと思います。
起きるとすれば、それは(ほぼ不可能だと思いますが)世界全体の宗教が変わるときです。
日本にいると「宗教がそれほど影響する?」と思うかもしれませんが、人類のほとんどは宗教の影響を受けています。
宗教観ではなく、宗教、つまりは信仰の在り方が変わるか否かにかかっているわけです。

下の宗教成立年表をご覧ください。
正憲が独断と偏見でまとめたものですが、クレームは受け付けません
ざっと流れを眺めていただきたいのですが、世界で対立の目立つ宗教・宗派は流れが同じだということに気付きます。
2,000年以上かけて、お互いを理解できなかったり対立したり、戦ったりしながら分かれてきたわけですよ。

この年表は宗教の分岐を載せたものですが、これに歴史上の出来事を載せていくとさらに「酷い」ことになります。
ローマ帝国の弾圧や十字軍遠征、魔女狩りなどの宗教裁判、ペスト流行、聖地奪還戦争などなど。
もうね、仲良くなる口実がどこにもないことが分かります。
これらの宗教的価値観に支配された人たちが蔓延している以上、人類が手を取り合うことなんて無理ですし、精神性の成長なんか全く望めません。

信仰が異なる人を異端視したり、差別区別することをいとわず、改宗しなければ殺しても良い、他宗教は劣っている、神を疑ってはいけない、司祭や神官や預言者を疑ってはいけない、教会や礼拝所を疑ってはいけない、などなどを挙げていくと、宗教間の溝を埋める方法は皆無に思えてきます。
ユダヤ教やキリスト教、イスラム教に共通するのは選民思想で、宗教を経ずにそういった傾向を獲得したのが中華思想です。
「自分たちは神に選ばれた民である」「自分たちは周辺国より優れた民族である」などの考え方が根底にあるわけです。
そして、そういった優越性は自然をも制御しようとする傲慢さに増長していきました。

他方で、仏教は比較的平穏な宗教と言われますが、タイやスリランカなどの原理主義的な一派もいることから、必ずしも平和な宗教とは言えません。
しかし、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教よりはかなりマシということです。
仏教は街中宗教や市中宗教であり、自然という概念とは遠く、想像上の神と自身の心の繋がりや対比から真理を見出そうとする手法と言えます。
仏教は自己に強い意識を向ける宗教であり、その結果として他者への関心に結びつき、特に大衆部の仏教派閥は市中宗教として人々が共存する方向性を見出してきたと言えます。

ヒンドゥー教や他のアジア各地の宗教信仰、過去に消えた中東辺りの古代宗教も、現世利益重視であったり、権威主義の傾向が強かったり、他民族や他宗教への攻撃を正当化したり、なかなかに派手なものが多い。
バラモン教の影響を受けるヒンドゥー教やタイ、ミャンマーの仏教も、対立問題を常に生み続けてきました。
階級主義が強い影響を及ぼしたため、それが衰えたり、滅ぼされた後にイスラム教の侵入を許してしまいました。
南アジアから東南アジアの多様性は一見すると良いように見えますが、精神的な豊かさを生み出す速度が遅くなってしまったようです。

日本国内に目を向けると、現在に至る宗教観がもっとも影響し始めたのは近世~江戸時代以降と考えられます。
仏道(仏教)と神道はときに神仏習合しながら、地域や社会に溶け込みました。
中世の仏教騒動を経て、江戸幕府は寺社を住民管理の機関として取り入れ、檀家制度と「葬式仏教」という結びつきに絞ることで影響力を抑えてきました。
仏教が現在に至る世俗信仰に成り下がった原因と考えられます。

神道に至っては戦争の歴史はそうそう多くありませんが、古い時代には宗教戦争ではなく、政争の具として利用された一面がありました(丁未の乱)。
江戸時代の神道は政治の影響を比較的受けずにきましたが、明治維新以降変化します。
国家神道という考え方で、当時の西洋がキリスト教を国教として定めて国家統治に利用していたのを模範としたようです。
これは江戸時代に仏教が政治に組み込まれたのと同じ方向性で、明治以降は神道も同様の道を歩むことになりました。
戦後に国家神道は解体されましたが、それを担っていた団体はのちに神社本庁になり、現在でも神道の根本的な信仰を歪める原因となっています。

今では神道と一括りになっていますが、神社には大きく2つの流れをおさえる必要があります。
『氏神信仰』と『勧請型信仰』です。
氏神信仰は、その土地に昔から祀られている神様や一族で信仰している神様などを祀る信仰のことです。
一方、感情型信仰は、有名な神社などの神様を御霊分けして別の土地の神社に祀る信仰のことで、勧請神道とも言われます。
日本全国に神社が爆発的に増えたのは、この勧請型信仰で「御利益のありそうな神様を招く」という世俗化が進んだことが影響しています。

勧請型信仰~勧請神道の総本山が現在は神社本庁(ひいては伊勢神宮)です。
神社本庁が勧める神道は「全国一律に天照大御神を信仰する」ことであり、地域や氏族・親族の氏神信仰より上であると位置づけています。
しかし近年では、神社本庁からの離脱をする神社が増えてきています。
もともとの信仰に回帰する動きなら歓迎ですが、上納金や政治的な理由なら微妙な感じです。

しかし、明治以降の神道の在り方を見直す風潮は良いことです。

氏神信仰は「自然信仰~自然崇拝」などのアミニズムを起源として、自然と人が一体となるところに神性を見出したのが起源です。
飛鳥時代ぐらいまでは土着の信仰をメインにしたいようであり、いわゆる自然崇拝と言える信仰形態であったと考えられます。
しかし、仏教伝来前後からは氏神信仰も勧請型が見られるようになり、別の土地や氏姓の神様を招いて祀ることが始まりました。
ですので、必ずしも「氏神信仰=自然信仰」というわけでないことに注意書きを添えておきます。

その土地や自然、生活のあらゆる場面に神性を見出し、それを「神」として信仰する形式は古くは縄文時代から見られたようです。
そうして祀られた「神」を地域や氏族を守る存在として畏れ敬うことが、日本人の信仰の形として定着して行きました。
ですから、再生可能エネルギーを謳って森林を伐採して自然を破壊することを厭わない人たちが、のちのち神様に救われるとは思えません(地球や自然からの逆襲)。
本当の意味で環境に優しくするなら、自然を制御したり自然を破壊せずに、自然の中で生きる(ような)術を改めて見つけていく必要があります。

自然を制御するのではなく共存する価値観の中に信仰を見出したとき、自ずと本来の氏神信仰のような形が生まれてくるのだと思います。
沖縄でしたら御嶽信仰がそれに当たります。
YouTubeでは「世界中の人が神道の概念を理解したら平和になる」というような内容を見ますが、神道も歴史を見ると「現在の形」が必ずしも適正とは言えません。
神道の根本にある自然を敬い共存する本来の形に回帰できれば、人間のあるべき信仰に近づけると思います。

創られた勧請型信仰ではなく、自然と土地と人を敬う自然崇拝としての氏神信仰が今後の世界を救う宗教的概念だと思いますし、人類が本当にアセンションするのは創られた信仰であるユダヤ教やキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、それらの関連宗教~近縁宗教などが衰退したときだと思います。
日本や一部の海外では『縄文回帰』が叫ばれて久しいです。
しかし、本当の意味でそれを実現するには、人々の意識改革がまったく追いついていません。
日本と海外(他宗教)との差が極めて大きいのはもちろんのこと、日本国内においても大都市と田園集落、海岸集落などの地方との意識差が拡大していますから、これをどう乗り越えるかが課題になります。

それができれば、人類は揃ってアセンション(高みへの意識変容)できるのだと正憲は思うのです。

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ところで、皆さんは『8月15日14時47分』の意識変容は起こりましたか?

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正憲
▼未知・陰謀▼神秘・靈性

1件のコメント

  • 正憲

    今日の17時47分も予言の範疇だったようです。
    車の運転中でしたが、何も起きず。
    批判的な精神の持ち主には何も起きないということか?

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