▼魂善説・魂悪説
クリスマスでございます🎄
マーケティングに踊らされない正憲でございます😭😭
さて、クリスマス🎅とは関係ない話題を書きたいと思います。
人の「性格」や「人となり」は死後どうなるのだろう?
どうしてそう思ったかというと、霊能者や予言者という人たちの話を聞くと矛盾を感じるからです。
西洋と東洋でも違いますし、宗教においても解釈が違いますし、地域性もあるようです。
何が言いたいかというと、死後、人は浄化されて清らかな心になるのか、死して尚生前の性格や人格を持ち続けるのか、よく分からないのです。
というわけで、死後に人は浄化されて全うな精神性に戻るとする考えを「魂善説」、死後も人格や性格を維持してその魂が残り続けるという考えを「魂悪説」としたいと思います。
いわゆる「性善説」「性悪説」になぞらえて命名してみました。
様々な条件や要件があるため一概に言いづらいテーマですが、特に『霊性』の部分をクローズアップして考えたいと思います。
キリスト教やイスラム教などでは人は死後魂が浄化され罪が許されて神の許へ行くとか、人は死ぬと本来の善の姿に戻って次の輪廻転生を待つとか、そういう話をときどき聞きます。
魂は善である、という考え方です。
神道も近いのですが、「善」というよりは「清らか」であるという感覚が近いと思います。
本来は清らかな魂であるけど、生きていく中で様々な「不浄」に見舞われるので、「禊ぎ」や「祓い」が必要になります。
それに対して、人は死後、その人の行いや霊格に応じて来世が決まり、罪を償いための苦行や天罰を受けたり、安寧の状態で過ごせたりが決まってくるという仏教などで見られる考え方があります。
馬鹿は死んでも治らない、は死してもその魂は残り続けることを表しているのだと思います。
死後も思いや恨みが残り続けるから、不成仏霊のような迷える魂が存在するのだという考えです。
死んだ後にすべてが清められるなら、現世に残ろる魂はないはずです。
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人の魂って果たして「善」なのか「悪」なのか。
正憲としては、やはり死後もその人の思いや念は残り、それが良いものであれば神仏の世界に近づき、悔い改めることが多い場合はそれなりの反省や罪滅ぼしが必要になるのだろうと思います。
キリスト教の免罪符のようにお金で買ったり、神様に「贖罪」しただけで何もかもがチャラになるなんて思えません。
そして、現世への思いが残るから、子孫を思う気持ちも生まれ、守護霊/神という形で存在しうるのだろうと思います。
「魂悪説」と書くと「魂って悪いものなんだ」と誤解されそうですが、『生前に悪いものに毒されるとそれを来世にも引きずる可能性がある魂の性質』と考えていただきたいと思います。
「魂善説」を解説するなら、「生前の所業は死後に高次元の恩寵によって浄化され、清らかな状態に戻る魂の性質」と書けるかと思います。
“謝って済むなら警察は要らない”という発想の日本人には、魂善説は自分の悪行を正当化する都合の良い解釈に思えてしまうかもしれません。
お日様に背を向けず、全うに生きることを求められるので、生きることは大変だと感じてしまいますね。
最近の日本は、どうもそういう道徳観念が薄らいできているように思えます。
中南米のような無法地帯までは行かないかもしれませんが、フランスや他の欧州諸国のような混乱には近づきそうです。
日本人が本来の霊性を取り戻さないと、今後に七度目で最後の最後の大建替が起きてしまうかもしれません。
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