◆土帝君の旅

正憲は歴史を学ぶことが好きですが、特に沖縄の信仰史に興味があります。

その中でも筆頭は土帝君です。

とぅーてぃくん」または「とぅーてぃーくー」と読まれることが多いです。
地域によって呼び方が違うことがありますが、基本的に五穀豊穣を祈願する神様です。
もともとは道教の神様ですが、教義一切を除いて「土地の神様」ということだけが伝わったようです。
度重なる飢饉によって荒廃した琉球の地が少しでも穣になるよう、昔の人たちは願っていたのだと思います。

伊平屋島我喜屋の土帝君

この土帝君ですが、沖縄に入ってきたのは仏教伝来の300年後ぐらいで、道教の『福德正神』という神様がモデルです。
台灣や中国南部では「土地公」と呼ばれて親しまれており、あちらこちらに祀られているそうです。
沖縄では「土地公」と書かずに「土帝君」と書くのかについては諸説ありますが、土地を守る(皇帝のように)立派な存在(君)をあてたのではないかと言われています。
沖縄での呼び方は「とぅーてぃーくん」ですが、下の動画で中国語の「土地公」の発音を聞いてみて下さい。

□出典[Google翻訳、Papago]

発音をそのまま「輸入」して、沖縄独自に漢字をあてたことが分かりますね。

沖縄は「チャンプルー文化」と言われますが、信仰にもその傾向が見られます。
仏教は鎮護国家と王室繁栄を目的に信仰されたため、民衆までは下りてきませんでした。
しかし、各地に寺が造られたこともあり、民衆は「仏教」の存在自体は知っていたわけです。
御利益があると知れば拝みたくなるのが民心ですので、当時の人たちは仏教の教義はほとんど理解せずに、神仏だけを拝むようになりました。

それが、現在に繋がる観音信仰というわけです。
ユタをはじめとしたシャーマンは仏教の教えとは別に観音様を信仰しており、干支廻りでは各地の御嶽や観音堂、観音様を祀る神仏習合の神社を参拝します。
このように、本来の教義は輸入せずに、「神仏そのものだけ」を取り入れて信仰の対象にする傾向が見られます。
土帝君もまさにそれで、道教の教えは輸入せずに、土地守護や豊年祈願、地域繁栄などの御利益だけを期待して神仏のみが伝来しました。
那覇の若狭久米辺りの天女信仰は別として、他の県内各地の媽祖信仰や天妃信仰も同様の流れです。

面白いですね。

土帝君は最盛期には王国内130ヶ所ほどで信仰されたようですが、現在確認できるのは50ヶ所ほどです。
一部はビジュル信仰との区別ができず、土帝君と決めかねるところが何ヶ所かあります。
土帝君については県内でも他の国内でも研究報告がほとんどなく、取り残された琉球信仰史の一つと考えました。
そういうわけで、正憲には研究はできませんが、土帝君を辿る旅をしてみたくなり始めました。

はじめは何も情報がなくて手探りでしたが、今年のはじめに「土帝君の研究報告」が県立博物館から発表になりました。

いやぁ、すごい論文が出ました。
こういうのを待っていたのです。
正憲が調べたもののいくつかが抜けていますが、調べていた地域などをおおむね網羅していました。
公費で存分に研究できた方が羨ましいです(正憲は私費で各地を巡っています)。

この論文の報告を熟読して、精査して、検討して、来年からの「土帝君の旅」再開に取り組みたいと思います。

正憲
◆旅游・郷土

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です