▼「六曜」問題
若い人には馴染みは薄いかもしれませんが、「大安」や「仏滅」ぐらいはご存知でしょう。
六曜は日を6つの運気に分けて表現する方法です。
「大安吉日」と表現されるは、大安が「大吉」とされているからです。
現在のカレンダーを見ているとこれがランダムに出てきている印象ですが、実はそうではありません。
六曜は旧暦を元に決められています。
しかも、大安→赤口→先勝→友引→先負→仏滅が順繰りに巡ってきます。
現在では六曜は日の運気を表していると考えられていますが、運気の順番が毎回同じというのは不思議ですよね。
例えばですが、超絶運気の良い日が連続していても良いはずなんです。
今日は「大安」、明日も「大安」、明後日は少し下がって「先勝」という形で運気が変化していくように思っているじゃないですか。
でも、六曜では違うんですよ。
大安→赤口→先勝→友引→先負→仏滅・・・→大安が順序よく並ぶわけです。
旧暦を元に決められていますが、以下のような決まりがあります。
旧暦の1ヶ月は「大の月」が30日、「小の月」が29日となっていて、どの月が「大の月」かは毎年変わります。
新暦ですと1・3・5・7・8・10・12月は31日、2月は28日、それ以外は30日と決まっています。
旧暦では1年が約354日で365日に満たないため、約3年毎に残日数を閏月(13月)として調整しています。
旧暦1月1日は何年であろうと、六曜は先勝に固定されています。
「なんか変だなぁ😱」
そうなんですよ、この違和感。
日の運気が毎年決まっていて固定されているのは不思議です。
しかも、運気の種類も6種類しかなく、流れも決まっているわけです。
この運気、正しいの?
誰もがそう思ってしまいますね。
歴史的にも、鎌倉時代から疑義的に捉えられていたようです。
江戸時代も特に注目されていたわけではないようです。
どちらも、「日の運気を決めるのはおかしい」「順番に来るのはおかしい」など、至極まっとうな理由だったようです。
昔の人はまともだったのですよ。
というか、陰陽道など他に着目すべき吉凶判断が多すぎたのかもしれません。
明治時代になると、政府が公に「吉凶付きの暦注は迷信である」とし、カレンダーなどに載せることを禁止しました。
するなと言われるとしたくなるのが人間の性。
今まで特に注目されていなかったのに、急にカレンダーで必須になったり皆が意識しだしたりと、現在に続く六曜の流れが決まったようです。
明治政府が要らないことをしたために広がった風習というわけですね。
というわけで、六曜は古代から現在に続く歴史上も「あまり意味がない」暦註という点は変わらないようですが、皆さんは日の選ぶ際にやはり気にしてしまいますか?