■琉球國建国日

1429年、明の宣徳帝が琉球王国の尚巴志を王として認定した書簡が琉球の交易記録書「歴代宝案」の中にあり、2月1日と記録されている

ということで、2月1日は琉球國の建国の日とされています。

まず、「琉球王国」という名称ですが、歴史的に歴代王や文書などでその名称を名のったことは一度もないらしく、内外の文書に出てくる名称は「琉球國」らしいです。
しかも、琉球王国の呼称はごくごく最近に、復帰運動や観光PRのために始めたという歴史に浅いもの。
本当に沖縄を愛するなら、正式な名称を広めたほうが良い気がします。

太平洋戦争前、いわゆる戦前には、正憲の父や伯父達は首里城で遊んだそうです。
荒れ放題だったらしいです。
1879年の首里城明け渡し後、首里城は住人(王族)を失いました。
それから終戦(1945年)まではわずか66年。

国が滅ぶ(滅ぼされる)ということの怖さを思いました。

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上の写真とタイトル写真が戦前の首里城です。
皆さんが想像していたのと違うと思います。
栄華を誇っていた頃の写真はもちろんありませんので、面影は発掘される品々からしか想像できません。
1992年に復元された首里城は誰も見たことがない朱塗りの立派なものでした。

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正面に建っている「龍柱」の向きが違います。
復元された首里城では向かい合わせに建てられています。
でも、戦前の写真を見ると正面を向いている。
そのことが発覚してから沖縄総合事務局に県が問い合わせたら、変更に難色を示したとのこと。

なぜに❓

令和元年10月31日に首里城正殿を主とした場所で火災が発生しました。

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正殿をはじめ、主要な建物が焼失しました。
平成31年1月に首里城の復元に関する事業が終了したばかりなのに、9ヶ月後には焼失。
県の責任問題だと思いますが、その点には誰も触れようとしません。
早期再建を!という(お涙頂戴的に)感情に訴えることばかりが報道されています。

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上は正殿があった場所を後ろ側から撮影した写真です。
遠くに那覇や浦添(中城間切)が見え、下々を見下ろす場所に建っていたことが分かりますね。
昔の那覇(いわゆる浮嶋辺り)はもう少し左側になります。
王府時代から埋め立てが進み、古地図の那覇~首里辺りはだいぶ変化しています。

というわけで、2月1日は『琉球國の建国の日』です。

正憲
◆旅游・郷土

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